民族という名の宗教

血族、部族、民族、国家、果ては社会主義まで、成り立ちを辿りながらその(建前の)矛盾点を突き、広義に宗教である、みたいな事が書いてあった気がする。宗教って言葉が適当かは疑問。信じることに拠らなければ存在しない虚構、とでも言った方が良い気がする。そして最終的には宗教も社会主義も肯定的に捉えていた気がする。帝国下の非征服民族としての平和や社会主義的な思想は決して必要とされなかったわけではない、と。
ゲーム理論の授業で、経済学部の学生チームが一番「囚人のジレンマ」ゲームの得点が低かった調査がある、と聞いたことを思い出した。迷わず裏切るから、と。非協力ゲームが協力ゲームに変わるとことか、ミクロな範囲だと社会主義が有利なケースを考えるのも難しくない。
話はズレるけど、こんな感じに広義に宗教を捉えれば、自分が居ることとか、明日が来ることとか、自分の死後この世界があることとか、どこまで信じるかはともかく宗教だ。